「思い立ったが吉日、わたしの座右の銘です」と伸びやかに笑う。「高校を卒業後、国家公務員になりました。そして、とある省庁に配属。一所懸命働くとまわりが見えてきまして、職業の展望を考えるようになりました」。
「仕事ってなんだろうって」。
これから日本の社会は、子育てに介護と各々が家族でなにがしかを背負います。会社もこのような環境下でも働きあえる考え方をしてく必要がありますね。社労士はひとの部分で会社にお力添えのできる仕事。会計部分と協力して、お客様をサポートします。
シンフォニーとの出会い
「広い目で自分も見つめたくなって夜学で大学へ通い始めましたことに。夜学の三年目のこと、親の影響もあったと思うのですが、会計など手に職をつけたいと思うようになりました」と振り返る。
「(公務員の)仕事を辞し、アルバイトをしながらの学業。就職媒体誌のアルバイトでしたが重い資料を持ちながら走り回りましたよ~」と天井を見つめる。「結果、出会ったのが当社でした。でもね。実はわたし、いったん当社を辞めています。別の仕事をして、社労士の資格をとり、そして再び当社に戻ってきているんですよ」と微笑む。
お客さまからいただいた言葉たち
「20代、当社で毎日を駆け抜けていた時にお客さまから言われてうれしかったひと言があります。それは “やっぱりあなたが担当でよかった” っておっしゃってくださったこと。気難しい方だったので、おべっかではないと思うんですよね」とうんうんとうなずく。「それともうひとつ。顧問先の女性経営者から言われて今でも心に残っていること。それは “松田聖子みたいに生きなさい” というアドバイスでした。女性だからあれがあるから、これがあるからと理由付けしてはいけない。環境に左右されないでやりたいことはやりなさい。そのようなメッセージだったと思います。わたしの今の考え方につながっているかもしれませんね」とほほ笑む。
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経営側、そして社労士を目指す
「当社をいったん離れたのちは会社の経営側に回りました。生の資金繰り、社員との人間関係、とても勉強になりました。生きた数字を学び、人を知り、再び会計の世界に戻ります。次のステップは中小企業の経営を支える資格を取得して戻りたい。覚悟を決めて、再び学業を八か月間。社会保険労務士の資格を取得。必死でしたから、眠くなったら足にシャーペンを刺すなんてこともしました」と冗談を挟む。
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一度離れてわかった、当社の魅力
「社労士など資格を取ることがゴールではなく、そこがスタートラインだと思って臨んでいました。ありがたいことに当社から再び声をかけていただき、社労士として再入社となったのが三年前」。「ほかの事務所も経て気づいた当社のよいところは、たとえ失敗をしても最後まで仕事をやらせてくれるところですね」。
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チームワークは職場と世の中で貴重な資源に
「わたし、趣味でずっと社会人バレーを続けています。バレーはチームワークが必要とされ、その人の得意なこと、または苦手なこと、お互いにの力を合わせて個々人が100%を出せるように組み立てるんです。チームを作るのって大変ですけど、その過程の一瞬一瞬が楽しい。そのようなチームワークが当社にはあると思います」。
「これから日本の社会は、子育てに介護と各々が家族でなにがしかを背負います。会社もこのような環境下でも働きあえる考え方をしてく必要がありますね。社労士はひとの部分で会社にお力添えのできる仕事。会計部分と協力して、お客様をサポートします。はい、わたくし別名体当たりで臨む社労士さんともいわれます」とユーモアで締めくくってくださった。
「ボールペンは書きやすいものを。手帳は赤色やオレンジ色を好みます。モノそのものよりも色に気が向きますね。ビタミンカラーで気持ちを上げたいんです」とたのしそう。